2006年9月2日

 

タイの文化(サマリー)

 

タイの文化について時間のゆとりがあるときに少しずつ書き溜めた文章

はタイの文化(その1)から(その10)まで10種の文章となって

しまっていた。そこで今回タイの文化(サマリー)としてひとつに

まとめておくものであります。

我々が高校生のときに旺文社の大学受験講座というラジオ放送があって

私も他の学生たちと同じようにこの講座を利用して大学の受験勉強をしていた。

深夜の11時から12時まで毎日放送されるこの講座を聞き続けるのは

それなりにかなりの忍耐を必要とした。毎日予習をするのも大変なものであった。

この受験講座の前に、あるキリスト教会の団体が毎日放送する「心のともしび」

という番組があり、私はこの番組を毎日聞いていた。

この番組開始のナレーションは、

「心に愛が無ければ、どんなに美しく着飾った言葉も相手の胸に響かない」という

キリスト教の聖書より引用した聖パウロの言葉であった。

日本人、タイ人それぞれ別々の特色ある文化をもっていて、どちらがよいか、

どちらが正しいかといったような議論は全くのナンセンスであると私は常々考えていた。

日本人とタイ人、別々の文化ではあるけれども聖パウロのこの言葉は国籍や文化を

超越して人々の心に迫る真理の言葉ということができる。

 

 

「心に愛が無ければ、どんなに美しく着飾った言葉も相手の胸に響かない」

 

kiyoshi matsui from Khonkaen, Thailand

 

 

2006年8月26日

 

タイの文化(その1)

 

雨の日にも傘をささないタイ人

 

タイ人には一般的に傘を持ち歩く習慣がない。

雨に濡れても平気である。

雨の日には服を濡らしたまま平気で街を歩いている。

通り雨で濡れた衣服は、雨があがれば

強烈な太陽の力で瞬く間に乾燥してしまうし、

ちょっと強い雨のときにはタイ人はゆっくりと

雨宿りをする。

どんなに急いでいる仕事をかかえていても、

強い雨の降っている時間帯はタイ人の休息の時間である。

日本人だったらどんなに強い雨の中でも傘をさして

ひたすら仕事へと向かう。

日本人は生活のペースが早くなってしまっていて、

タイ人のようにゆっくりと雨宿りをする

心の余裕をすっかりなくしてしまっている。

日本人は雨が降れば傘をさすことが当然であると信じて疑わず、

タイ人は雨が降れば濡れたまま歩くか、少し強い雨の場合には

ゆっくりと雨宿りをする。

タイでは雨や交通渋滞で仕事に遅れても、それを

とがめる人はいないようである。

 

kiyoshi matsui from Khonkaen, Thailand

 

2006年8月26日

 

タイの文化(その2)

 

勉強熱心なタイ人女性たち

 

理由は良く分からないが現在のタイでは

あきらかに女性のほうが男性より勉強熱心である。

チュラロンコーンやタマサートなどのような

タイの超一流の大学の事情はよくわからないが

普通の大学では女性の学生の数が男性のそれを上回って

いるようだ。

私の町の国立コーンケーン大学でも女性の学生の数は男性

の数より多い。大学のキャンパスはどこも女学生であふれていて

男子学生は隅のほうに追いやられている。

コーンケーン市内の私立の大学になると、これはもう

圧倒的に女性のための大学と呼んでも差し支えない

状況である。

どうも昨今のタイの男子は勉強があまり好きでないと

いった印象を受けている。

反対に女性は大変勉強熱心で成績の良い学生も女性のほうが

多いくらいのものである。

そのため学校の先生や病院のドクターなんかも

女性の方が多いくらいである。

 

kiyoshi matsui from Khonkaen, Thailand

 

2006年8月26日

 

タイの文化(その3)

 

タイ人は敬謙な仏教徒

 

およそどんな田舎や僻地でも

村には必ず立派な仏教寺院がある。

村で一番立派な建物は、まず村のお寺と相場が決まっている。

バンコクのワット プラケーオはタイで一番有名な寺院であり

毎日たくさんの参拝客と外国からの観光客で混み合っている。

このワット プラケーオ は別名エメラルド寺院と呼ばれていて、

今のタイの王様の家系であるチャクリー王朝の創始者ラーマ1世

がバンコクを都と定めた年の1782年に、まずこのエメラルド寺院

の建設を開始したものである。

この寺院には本尊としてインドからはるばるとやってきた

エメラルドでできている高さ66cmの比較的小さな仏像が安置されている。

インドで西暦紀元前50年(仏暦500年)ころに製作され、その後

スリランカ、カンボジアを経てタイに落ち着いたという数奇な運命の

伝説をもっているこの仏像は寺院の奥のほうの、

さらに随分と上の方に安置されていて、遠くのほうで美しく輝いている。

タイの国王が自ら年に数回、直接この仏像の衣服をとりかえる儀式が

行われるほどこの仏像の権威は高い。

現在の王様は同じくチャクリー朝のラマー9世で年齢は確か78歳に

なられているが、ダム建設などの卓越した技術をもお持ちである。

タイ人にとっては外国の観光客とちがって、お寺に行くことは

観光目的ではなく、お経を聞いたり、唱えたりまた仏教のさまざまな

行事に参加する意味合いがあるので、

私たち外人もお寺に参拝するときにはそれなりに身なりに気をつけて

きちんとした服装でお寺を訪問すべきである。

 

kiyoshi matsui from Khonkaen, Thailand

 

2006年8月26日

 

タイの文化(その4)

 

タイの市場

 

タイにはさまざまな市場がある。

たいてい庶民のための大きな市場が町や市内の中心地

に設置されていて朝から夕方まで買い物をすることができる。

また土曜日や日曜日の早朝だけ開かれる朝市などもあり

地元の人たちの楽しみの一つとなっている。

バンコクには週末の土日に開かれる「サンデーマーケット」、

チャオプラヤー川の支流で開かれる「水上マーケット」などもある。

大きなマーケットは40年くらい前の日本の市場と同じようなかんじ

で、それなりの設備のととのった場所で商いがなされており、

朝市なんかは簡単なテントを設置しただけの場所で買い物を

楽しむことができるし、全くの青空市場もある。

いずれにしてもタイの市場で買い物をするためには

タイ語が必須。

英語はまったく役に立たない。

肉などは計り売りが中心で大抵1キロ単位で買っていくのが

タイのスタイルである。

豚肉は1キログラムで100バーツ(300円)、牛肉は

150バーツ(450円)といったところであり。

野菜などはキロ売りや束売りが行われている。

日本のように馬鹿高い野菜はなくて一束5バーツやキログラムあたり

20バーツといったところで大抵の野菜は売買されている。

物価の安い暮らしやすい国だということができる。

 

kiyoshi matsui from Khonkaen, Thailand

 

2006年8月26日

 

タイの文化(その5)

 

タイの食堂

 

タイの食堂には私の住んでいるコーンケーンでは

一番高級なのがホテルのレストラン、ついで冷房設備のある

個人のレストラン、それから町のいたるところにある

冷房無しの普通のレストラン、

それから忘れてはならない膨大な数の庶民の胃袋を支える

町中の屋台といったところである。

場末の屋台で食べる料理と高級レストランで食べる料理は

基本的に同じ味をしている。

高級レストランが特別に美味しいというわけではない。

屋台でも美味しい店は多くあるし、なにより料理の値段が安くて

安心して心行くまで食事ができることは、屋台の大きな魅力となっている。

日本のレストランに入るとまず係の女性か男性が丁寧に挨拶にきて

注文をとり、食事の後の支払いは店の出入り口付近にある会計の場所で

支払いをする。これに対してタイでは同じく女性か男性の係員がテーブル

のところまで注文をとりにやってくるが、日本のような丁寧な挨拶はない。

いきなり何を食べますか、それから飲み物は何にしますかのような会話と

なる。客は料理の味付けや、方法にさまざまな注文をつけることができる。

さらにやってきた料理にはさまざまな香辛料などで自分好みの味にしてから

食事をする。食事が終わると食堂の係の人をテーブルまで呼んで

支払いはテーブルのところで行われる。通常この係の人にはタイでも

多少のチップを支払うのが習慣となっている。

屋台ではチップの必要は無いし、テーブルの持ち主の屋台以外の

屋台からも料理を自由にとることができる。もしも屋台でビールが飲みたく

なった場合にはすぐ横にあるセブンイレブンで自前のビールを飲むことも

自由であるし、屋台の女主人はビールを飲むグラスを貸してくれる、

また氷も無料で提供してくれたりする。

タイの屋台はサービスが良いのです。

ただ気温が暑いので冷房のきいた部屋で食事をしたい場合には

上記のホテルのレストランか冷房設備のあるレストランでの

食事がお勧めです。

屋台ではタイ式ラーメンが20バーツ(60円)、他のメニューも

似たり寄ったりの安い値段の設定となっています。

セブンイレブンのビールは大瓶1本40バーツ(120円)といった

ところです。

 

kiyoshi matsui from Khonkaen, Thailand

 

2006年8月26日

 

タイの文化(その6)

 

タイ人は外食が大好き

 

タイ人は家族や友達と外食をするのが大好きである。

あっちの屋台でもワイワイ、こっちの屋台でもワイワイと

いった状態が毎日続いている。

私も屋台では随分食事をしたが、子供が出来てからは

冷房のしっかりきいているホテルのレストランで食事をすることが

多くなった。

私はコーンケーン市内のホテルのレストランには毎日夕食を食べに出かけている。

私の家からわずか5kmほどのところにホテルは集中している。

ホテルのレストランでもタイ人の家族がよくやってくるが、

毎日というのはほとんどない。だいたい月に一度ホテルのレストラン

で食事ができればよいほうだと思う。

東南アジアは総じて料理の価格が安いのであるが、タイは

特別安い。バンコクに出かければ世界の国の料理が

信じられないほど安い価格で提供されていて、

幸せを感ずることができる。

日本の寿司や刺身なんかも、タイ産の魚(現地物)に限れば

本当に安い価格でおいしいものを食べることができる。

刺身1人前150バーツ、寿司1人前150バーツといったところである。

現地の屋台の食事が1食20バーツそこそこであるので、150バーツでも

現地の人々にとっては高額な料理だということができる。

日本人にとっては高値の花であるロブスターや大海老のバーベキュー

なんかも破格の安値で提供されているので嬉しいかぎりである。

 

kiyoshi matsui from Khonkaen, Thailand

 

2006年8月26日

 

タイの文化(その7)

 

果物王国タイランド

 

タイは果物が豊富で四季を通じ果物がとぎれることはない。

果物の王様と言われているのがドリアン、仏木君や南里君はドリアンを

食べたことがあるでしょうか?

ドリアンといっても何種類かあり、私の知っているのはモントーンという

上品な味の種類とチェニーという強烈な匂いを発する種類の2種類だけである。

ドリアンはその熟れ具合により味は大きく違い、

食べごろのドリアンを素人が購入して納得できる味に出会えるのはまれである。

ドリアンを買うときには専用のたたき棒でポコンポコンとたたき、

果実の熟成している音を聞き分ける能力を身に付ける必要がある。

ドリアンの茎のところに鼻をつけて匂いを嗅ぐのも、

上手なドリアン購入の技術の一つだ。

いずれにしても完熟ドリアンのあのまろやかでなめらかな舌ざわり、

強烈な匂いや甘さは一度食べ始めると病みつきになることうけあいである。

これに対して果物の女王様と評されるマンゴスチンにはドリアンのような

大きな当たり外れは無い。上品な甘酸っぱい香りは誰からも愛されるであろう。

パパイヤはまさに庶民のフルーツということができる、

完熟したパパイヤは甘くこれにマナオ(タイのレモン)を

たっぷりとかけて冷蔵庫で冷やしたものを食べるとほんとうに美味しい。

暑さでつかれた胃腸にとってもパパイヤは優しい果物ということができる。

まだ熟れていないパパイヤは千切りにしてソムタムという

日本のなますのような料理にして食べるのがタイを代表する料理の

筆頭となっている。

私の所属するタイ東北地方ではもち米を蒸したものが主食であり、

ソムタムがおかずである。

パパイヤはいたるところに四季を通して自生しているので

貧しいタイの庶民のおかずはソムタムできまり。

 

kiyoshi matsui from Khonkaen, Thailand

 

2006年8月26日

 

タイの文化(その8)

 

タイ人の誕生日

 

タイ人は自分の生まれた生年月日を記憶するほかに、生まれた曜日を

必ず記憶している。日本では曜日まで記憶する習慣はないようだ。

東南アジアではどの国でも生まれた曜日を重視しているようだ。

多分仏教の教えからきたものと推察されるが、生まれた曜日が

本人の性格、運勢、などを左右すると教えられているのだ。

またタイ人は占いが大好きである。

手相、人相、星占い、トランプ占い、また中国からやってきた

易学の本など飛ぶように売れている。

結婚、就職、勉学、仕事、引越しなんかの重要な人生の岐路の

ときには種々の占いを試すのがタイ人の一般的な日常となっている。

また宝くじも大変に盛んで、当選番号を占う人もいるくらいだ。

昔仏木君と若松の競艇で遊んだときに予想屋のおじさんがいて

100円払って連勝複式の予想の番号を買ったことがありましたね。

はずれでしたが。

 

kiyoshi matsui from Khonkaen, Thailand

 

2006年9月2日

 

タイの文化(その10)

 

微笑みの国タイランド

 

タイは「微笑みの国」と呼ばれている。

タイでは言葉より微笑みのほうが重要視される習慣がある。

日本人は無表情で挨拶言葉を言う人が多く見られるが、

これはタイ人の考えでは大変失礼なことだと考えられている。

タイでは挨拶の前にまず微笑み、それから挨拶の言葉が出てくる

のが一般的であり、タイの大切な常識のひとつである。

タイ語の「こんにちわ」は「サワッディー」であるが、この言葉は

日本人ほどは頻繁に使用しない。ただ微笑みあうだけで別れて行く

人たちもタイでは多いのだ。

タイのサワッディーは学校で生徒が先生に対して使うくらいのものであり

普段の生活ではあまり使われていない。

それからタイには挨拶するときにワイという合掌をする習慣があるが、

これもあまり頻繁には行われない。

日本人はいつでもどこでもワイをするので知識のあるタイ人の

顰蹙(ひんしゅく)をかっているほどである。

例えば日本人はパタヤのオープンバーなんかでもワイを連発して

それはそれで受けてはいるが、常識のあるタイ人たちはこれらの

無作法な日本人たちを冷ややかな眼で見つめている。

ワイの手の合わせ方と頭の下げ方の位置は、自分と相手との関係によって

様々であるが、基本的には目下の方から先にし、

学校では生徒や学生が先生に対して、

子供は出かける前と帰りに親に対してする。

しかし、それらと、お寺の建物や仏像、

道端や屋敷にある祠(ほこら)、僧侶などに対してする

以外は、毎日出会う人に対してはワイをしない。

このワイに対する日本人の「常識」は間違っているので注意が必要である。

 

kiyoshi matsui from Khonkaen, Thailand

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